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lochtext

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日本のアカデミアの将来は明るい、か?

日本のアカデミアの将来はきっと明るい - むしブロ+
http://d.hatena.ne.jp/horikawad/20120106/1325857642 を読んで考えたこと。

まぁ僕はただの学部生なんですが、日本の大学院に関して持っている知識を整理する意味で書いてみます。実情とちがうよ!という部分があればご指摘ください。また基本的に自然科学系(とくに工学系)を想定して書いています。人文系・社会系に触れるときはとくにそう書くようにしています。

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そもそも博士号を取得するには、
(1)修士課程終了後博士課程に進学し、学位論文を提出
(2)社会人博士課程
(3)論文博士

という3つの制度がある。このうち(3)論文博士は国際標準な制度ではないとして、文科省が廃止の方向で議論を進めている。

論文博士は日本独自の制度のため、「博士課程修了」なしに「博士号取得」のみだと、いわゆる「ディプロマミル」で博士を取得したと思われてしまう……というのが弊害として挙げられている。

だが、本来博士課程を経ずに論文提出のみで博士号を取得することで生まれる問題は本来そんなものではないはずだ。いわゆるアメリカのPh.Dを得るためには

(A)研究室での研究活動と論文の審査による研究能力養成
(B)幅広い科目の受講と口頭試問による知識の底上げ
(C)TA制度を通じた高等教育機関における教育能力の養成

という3つをこなす必要があり、日本の課程博士にもある程度はそれに沿った形で教育がなされるようになっている。いっぽう、論文博士には(B)および(C)を養成・審査するような制度はない。つまり、論文博士が大学の研究室に入って、課程博士と対等に大学の研究室で研究・指導ができるか、というのはかなり疑問符がつくような気がする。

しかし、論文博士制度を単に廃止してしまうのは考えものだ。今後、世界標準の「研究者」として認められるには博士号が必要(http://www.nanobio.frontier.kyoto-u.ac.jp/news/2006/04/post-4.html)になってくる。つまり修士課程を卒業し企業の研究開発職についたとしても、どこかで博士号を取得する必要が出てくるのが想定できる。そうなったとき、企業における研究業績のみで博士号を認定してくれる論文博士制度は非常に便利だ。現状では論文博士のほうが審査に必要な論文の本数及び質は厳しく、企業人の研究能力を認定するのに論文博士制度は十分な役割を果たしていると言える。

また博士号取得後企業で働き続けるなら、課程博士の教育課程に含まれる(B)(C)はとくに必要であるとは言えない。社会人博士課程制度は現在充実し始めているが、やはり社会人にとって週末のみのスクーリングであっても負担を伴うのは避けられない。論文博士制度を廃止するなら、社会人博士課程制度のいっそうの充実および、博士号取得者がより適切なポジションにマッチングできる企業内外のシステムは必要不可欠だ。

そして、さらに皮肉なことに、日本の大学院教育課程において(B)(C)はこれまであまり重視されてこなかった。このため戦後の大学拡大政策とともに、多くの「研究はそこそこ、周辺分野や教育関連はダメダメ」な大学教員が生み出されることになり、そのような環境の中では論文博士として大学教員の職に就いてもなんら無理なく仕事を全うすることができたのだ。

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さて、ここまでは長い前置きに過ぎない。上記ポストの内容をまとめると、
(ア)専任ポストの不足によって大学に残れる若い研究者の質が向上
(イ)博士課程進学のリスクが周知されることにより、優秀かつ研究者に向いた学生のみが博士課程に進学するようになる
(ウ)研究室には優秀な若手指導者と優秀な学生が揃い、研究業績は向上する
ということになる。このシナリオは本当かどうか検証してみよう。

まず(ア)だが、これは上記ポストに書かれているように事実なのは間違いない。むしろ、テニュアの数はこれからも減り続けていくことすら想定できる。

次に(イ)だが、これは一見正しいようでいて非常に問題がある。現状のように博士課程進学に伴うリスクが大きすぎると、研究者向きでない学生を入学以前にはじくことができる一方で、博士号を取得できる能力のある学生も多くがリスクを避けて博士課程に進学せず就職してしまうことになる。

そういった学生が企業で研究開発職につき、将来的に博士号を取得しようと思ったとき、これまでは論文博士は非常に有効な手段だった。しかし論文博士が廃止に向かっている現在、就職を選んだ学生が博士号を将来的に取得できる可能性は徐々に低くなっていると言える。

大学とは本来、多様性を重視するところだ。これまでは、研究向きでない学生が研究室にいたり、企業で働いていた研究者が学生や教官として途中で参入してくることでそれが保たれていたが、研究向きな学生だけが博士課程に進み、外部の研究者に博士号を授与して大学の一員に加えるようなことも少なくなれば、より研究室はタコツボ化し、(ウ)という結果はかえって遠くなってしまうのではないだろうか。

本来、問題なのは博士課程進学のリスクが高すぎることだ。博士号を取ったがテニュアを取れなかった人、あるいは単位取得退学という結果に終わった人たちが、今より企業で職を得やすくすることのほうが重要ではないだろうか。こういう「入口を狭く締めすぎてしまう」ことによる弊害は、すでに大学入試の時点でさんざん議論されている(以前にここ http://blog.livedoor.jp/lochtext/archives/51422518.html でも書いた)。

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そんなわけで、よく知っているわけでもない世界についてさんざん書いてみたわけですが、ぼく自身はやはり博士課程に進学する気はありません。博士号がいつか必要になったらそのときとろうと思うし、そのための制度があるような企業に就職できたらと思っています。自分自身研究が好きかどうかなんてわからないし、きっと博士課程を終えたあとに「俺は研究は向いてない」って気付く人だっていると思います。今は、より直接的に社会に貢献できるビジネスのほうに頭が向いているのですが、そのうち研究者になりたい!と思う時がくるかもしれません。その時が来たら、また考えたいと思います。

追記:いろんな方(含現役大学教員)が大学教員の公募についての現実を書いているのを見て思わずいろんな部分を修正したい気持に駆られましたが、まぁいち学部学生にはこういうふうに見えているのだ、という程度に受け取ってもらえればいいかなと思います。