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lochtext

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「君が代不起立訴訟」と、寛容の精神について

 日本の公立学校における卒業式では日の丸が掲揚され、国歌斉唱も行われる(ように指導されている)。ところが国歌に関して「思想信条上の理由から歌うのも起立するのも拒否する」―こう考える教職員がいるのはどうやら事実だ。ではそれはなぜか。困ったことに日本教職員組合のHPには君が代不起立訴訟に言及した部分が見つからない(見つけたらだれかこっそり教えて下さい。なお「生徒に国歌を指導することの是非」についての文章は発見できました)。ふだんネットでは「日教組加入教員の悪行!!」というような風潮で語られているのにこれはどうしたことか。やはり「日の丸・君が代は悪だ!」と考えているのは日教組のなかでもさらに一部の教員にすぎないのだろうか。

 とはいえ「日の丸・君が代」を「大日本帝国・軍国主義」と結びつけて考える教員、というのは確かにいる。たとえば1月16日に判決が言い渡された裁判で「停職処分やむなし」となった根津公子氏のホームページ上には以下のような文章が掲載されている。

◆戦争と「日の丸」「君が代」―― 侵略されたアジアの人はいま◆
「日の丸」「君が代」にいやな思いを抱く人が今もいる、ということをあなたは知っていますか?60年以上前日本がアジアの国々にしかけた侵略戦争で、2000万人以上のアジアの人が日本軍によって殺されたという事実は聞いたことがあるでしょう。侵略してきた日本軍が、赤ちゃんまで虐殺したことや、少年少女を「強行連行」し、「強制労働」に就かせ、あるいは「従軍慰安婦」にしたことに対し、今もって一言の「ごめんなさい」も日本政府から聞かされない。そのことに、怒りを持っている人がたくさんいます。
 謝って、2度と戦争はしないという姿勢を示してほしい、と日本政府に訴えています。侵略戦争に使った「日の丸」、戦争の命令を下した天皇をたたえる「君が代」が、日本の学校で行われることに、昔を思い出し再び殺されるような気がする、と言います。
 あなたが、「強制労働」「従軍慰安婦」にされた当事の少年少女だったら・・・?自分に置き換えて考えてください。やはり同じ気持ちを持つのではないでしょうか。また、あなたの学校にもこういう思いを持つ在日外国人のクラスメイトがいるかもしれません。そういう友だちの気持ちも考えられる人であってほしいと思います。
 私の父も戦争に行きました。優しい人でしたが、戦争に行きました。父の世代が犯した過ちを繰り返してはいけないと思い、私は生きてきました。「日の丸」「君が代」にこだわるのは、アジアの人と仲良くしたい、再び戦争をする国に日本をしてはいけない、と思うからでもあります。

 もちろんこのように考えること、個人として表現・発信することは自由だ。だがそれを理由に卒業式の最中に国旗を引き下ろしたり、自分の生徒に対して自分の思想を開陳してみせることが正当だ、というのは相当怪しいのではないかと思える。

 もう一つ例を上げておくと、僕の母親は腰を痛めて退職するまで大阪府の養護学校教諭だったが、もう10年以上前になるか、幼い僕が「日の丸弁当って何?」と尋ねると「日の丸とかいうブッキョゴ(?)はこの家で口にしたらあかん!」と怒鳴られた、という思い出がある。当時は(仏壇には日の丸そっくりの掛け軸がかかってるのに……)と意味不明だった覚えがある(ちなみにその掛け軸とは大日如来の本尊のこと)。まぁ最近里帰りすると「ホロコーストはユダヤ人の捏造」とか「この水はアレルギーを治すすごい水」とか言ってくるので単に影響されやすい人間なのかもしれないが。

若干先走ってしまった感はあるが、とりあえず話題を「教育現場における国旗/国歌に関連した教育」ではなく「教員へ国旗/国歌へ敬意をはらうよう強制する職務命令は正しいか」に絞ろう(これは分離できる問題ではないのだ、と考える向きもあるが、ここでは煩雑になるので扱わない)。昨年から今年のはじめにかけての最高裁判決はこうだ。

・職務命令に基づいて職員に国歌を起立斉唱させることは違憲ではない
・減給以上の処分には慎重な適用が必要

では実際の判決文はどのようなものであったか。

津久井進の弁護士ノート 「国旗・国歌」 真の解決は法廷外で

たしかに,判決は,起立斉唱の職務命令を合憲とした。
しかし,決して,国旗国歌に対する強制を広く許容したものではない。

千葉勝美裁判官(裁判官出身)は,次のような補足意見を述べている。
「起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため,司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが,必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない。」
君が代」の起立斉唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると,たとえ,裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。(強調部分は引用者によるもの)」

「君が代不起立による停職・減給は違法」と判断した最高裁判決の重み - どん・わんたろう

いつもは権力側に甘い最高裁が「不起立による停職や減給は、やりすぎだ」と初めて公式に認めたのだ。「3回の不起立で免職」なんてきまりを作ろうとしている大阪府への影響という面で見ても、そこにこそスポットを当てるべきニュースだと思う。

最高裁判決の理屈を、ちょっと詳しく紹介する。

 君が代斉唱時に起立するよう求める校長の職務命令は憲法19条に違反せず、教育上の行事にふさわしい秩序の確保や式典の円滑な進行を図るもので、必要性がある。先生が起立しないと、式典の秩序や雰囲気を一定程度損なうし、参列する生徒への影響を伴うことも否定しがたいから、重すぎない範囲で懲戒処分をすることは、基本的に懲戒権者(都教委)の裁量権の範囲内である。
 一方で、不起立は個人の歴史観や世界観に起因し、積極的な妨害ではなく、物理的に式次第の遂行を妨げるものではない。式典の進行に具体的にどの程度の支障や混乱をもたらしたかは、客観的に評価することが困難である。
 だから、戒告を超えて減給以上の処分を選択することについては、慎重な考慮が必要となる。

「職務命令で強制することは(職員の思想の自由と、厳格な式典の場における作法とを比較計量した場合)違憲とはいえない」と言っている一方、「厳しすぎる処分・機械的処分はダメよ」と言っている。そして補足意見では行政側に「寛容の精神」を求めている。

 だがそもそも、教員の思想信条を表現することと公的な式典におけるプロトコルは、果たして本当に功利主義的に比較計量できるようなものなのだろうか。

 そしてこの寛容の精神とは何なのだろう。例のやりとりのせいでtwitterからいなくなってしまったtamanoir先生は「まじめに言うと、'10年代は、不寛容と排除の時代になると思うよ」と発言していたが、法治国家に「寛容の精神」が必要であることは、どうやったら説いていけるのか。職務命令だ、と言われても頑として「俺の思想信条は曲げられない、起立なんかしない」という頑固な先生を場が許容することは、果たして出来るのだろうか。


職員の内心に踏み込み、恩師のこのような姿を晴れの卒業式で見せるよりは、「私自身の選択として命令には従わないのだ」という姿を(それを生徒たちがどう受け取るにしろ)見せたほうが良いのではないだろうか(しかし id:hokke-ookami 氏がこんな感じでブチギレているのはちょっと見たいかもしれない)。

 そして大阪府の今後の施策はどうなるのか。「機械的処分がダメなら研修を受けさせる」と発言した橋下氏だが、最高裁判断の意図を明らかに理解していないこの発言に対して、どう反応していくべきなのだろう。昨日は「君が代問題は世間の支持を得にくく攻撃箇所として適さない」と書いたが、この最高裁判断の意図が周知されれば、橋下氏の手法に対する有効な攻撃材料になるかもしれない。今後の展開に期待する。