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lochtext

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なぜその作品を面白いと感じるのか考えてみたい人たちへ

自分が好きな作品、歌でもアニメでも小説でもいいです、それがどうして好きなのかということを、考える人と考えない人がいる。考えない人の中にも2種類あって、単にひたすら作品を摂取していたいタイプの人と、誰かが与えてくれた枠組みの中に閉じこもって、この枠組の中の作品が好きな作品なんだ、と自己規定してしまうタイプの人。前者は現代日本では、とくにネットの世界では少数派です。どんな作品であっても、メタタグが付けられ、分類され、消費者どうしが語り合う場が与えられている環境の中で、ひたすら自分の好きな作品だけを探して摂取し続けることが出来るほどに人間は強くない、しかしそれはそれで楽しい生き方でもあると思います。

問題は後者の人たちで、誰かが「それは萌えだ」「それはボカロだ」「それはSFだ」って枠組みを与えてくれたらその中で自分の好きな作品を探す、その枠組みの中でコミュニティを作る、その枠組みの中の作品だけを評価しそこでしか通用しない評価軸で他の場所の作品を評価しようとする。誰しもそういう行動パターンに心あたりがあると思うしそれは一時的には非常に楽しいのです。でも、それには、限界がある。

外部的な要因は幾つかありますが、社会環境の変化、テクノロジーの変化、作り手側の意識の変化、そんなところです。しかし内部的な要因のほうが大きい、つまりどういうことかというと、飽きるのです。それは単純にそのコミュニティがつまらないとか、良質な作品が供給されなくなったとか、そういうことじゃなくて、あなたの、受け手側の意識が変わるから。ぼくの想定読者のためには、精神的成熟、と言い換えてもいいでしょう。とにかくあなたはその枠内でとどまることに耐えられなくなる。それは非常に自然なことです。ライナスの毛布に例えるのはやりすぎでしょうが、しかしぼくはその例えが好きです。そうなったときに、あなたはどうやって次の「面白い作品」を探せばいいのか?

あなた自身が、あなたにとって楽しいと思える作品を作ってみるのもいいでしょう、しかし多くの人にはそういうことはできない。自分自身の作る作品のクオリティに満足できないからです。創作は特別な行為ではありませんが、しかし多くの人にとって(とくにある一定の期間は)耐え難い苦行であることは間違いありません。

そんなわけで、原点に戻って、あなたが好きな作品について、どうしてその作品が好きなのかを考えてみてください。やりかたは簡単です。作品を徹底的に要素レベルに分解し、自分がその中でどの要素が好きなのかを考える。全部が好きなんだ、そういう結論が出てしまうかもしれません。そういうときは、ぜんぜん違うジャンルに似たような作品を探しに行きましょう。年代を変え、国を変えても、しょせん多くの作品は似たようなパターンをどこかで使っています。似たような作品を見つけたら、その作品が好きになれるかどうかを考えてみてください。それが好きになれたりなれなかったりしたら、その作品と今まであなたが好きだった作品のどこが違うのかを考えてみてください。そういう試みそのものが楽しく思えてきたら、それはひとつの成長であると言えるでしょう。