イケダハヤト氏の奨学金論について
今週、こんな記事が話題になりました。
狂った日本の奨学金制度:大学卒業のために「720万円の借金(利子付き)」を背負うのは自己責任?
まず、「日本で高等教育を受けるコスト」に関する僕の基本的な認識は、
ということに尽きると思います。
奨学金に関する議論も、ここから始めるべきでしょう。
上記のような状況に日本が陥っているのには、もちろん理由があります。
学費が高いのは、戦後規模を拡大したのが私立大学であること、
貸与型の奨学金がないのは、賃金と福祉の体系が生活給思想にもとづいていること、
(※生活給思想……要は、一家の大黒柱のお父さんには、家族全員が暮らせるだけの給料をあげよう、福祉はそこから漏れた人を最低限助けよう、と言う考え方。)
が、それぞれ原因であると考えられます。
上記のような状況にあっても今まで奨学金制度、ひいては日本の大学制度がそこそこうまく回っていたのは、
(1)多くの学生が実家から十分な支援を受けていた
(2)大学卒業後は高い確率で高収入の職業に就けていた
からです。しかし、現在その状況は崩壊しつつあります。仕送りは減少していますし、大学生の就職率は今後も回復することはないでしょう。
そのような状況下で、「奨学金が返せない」ことを単純に自己責任とすることはできない、と思います。
これを変えるためにどうすればいいか?
イケダハヤト氏は、
「オンライン教育」
「コミュニティ型の支援サービス」
を挙げていますが、これらは根本的な解決策にはならないでしょう。
僕は、「これまで駅弁と呼ばれていた地方大学が、高度職業教育を提供していく」ことが解決策につながると考えます。
地方の国公立大学なら、授業料や生活費を抑えられ、また実家から通える可能性も高まります。土地が安いので、寮も建てられます。バイトをする必要もなくなり、勉強と遊びに集中できます。
さらに、これまで日本の大学が提供していたような「職業につながらない教育」ではなく、「高度な専門職につける」タイプの教育を提供していくことで、卒業後安定した職を得て、奨学金を返せる可能性が高まります。
こうしたタイプの教育は、日本ではもっぱら高専や地方医大、地方理工系大学で提供されていましたが、主流になることはありませんでした。
しかし、たとえば「国際教養大学」の人気の高まりを見ると、そういったタイプの教育にもニーズがあるのでは、と感じます。
(国際教養大学がウリにしているのは卒業生の「技能」ではなくもっとあいまいな「タフさ」なのですが、それはさておき。)
教育を受ける側のコストを抑える一方で、確実に入学者を鍛え、高度職業人として社会に送り出していく高等教育。
今の日本の大学教員に、どこまでそういうことが可能かは疑問ですが、そういった教育ができれば、偏差値も、人気も、社会的評価も高まっていく、ということを国際教養大学は示しています。
そして最大の問題は、「どこを高度職業教育として切り出すか」になるのでしょうね。

- 作者: 芦田宏直
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